CRJA会長を振り返って
この度、日本帰任の社命を受けCRJA会長を辞任することになりました。短い1年という間でしたが、皆様に多方面にわたり助けて頂き会長の重責を全うすることができました。色々お世話になり本当にありがとうございました。
6代目会長への打診を受けたのは、2016年の年が明けて間もなくだったと思います。前会長から打診を受けた際には、正直迷いました。ただ、このシラチャで6年暮らし、お世話になった日本人とタイ人の為に、もっと関わりを深め、もっとコミュニケーションの輪を広げることに取り組んでみようと引き受けることにしたのを覚えています。
7年前このシラチャに来て一番驚いたのは、日本居酒屋の多さ、毎日店を変えても一か月では回りきれないほどなのは今も同じでしょう。「町にあふれる日本語」「いつでも笑顔で接してくれるお店の店員さん」「タイ語をしゃべらなくても全く不自由しない生活」、ついつい日本と勘違いしてしまうところです。これに慣れて日本人が我が物顔に夜の街を闊歩している、大きな顔をしているのが気になるところです。現実、殴り合い喧嘩になることもあれば、窃盗被害に会うことも事実です。あくまでここは外国です。そのことを決して忘れてはいけません。日本人として海外で暮らすことへの謙虚さ、タイ人ともに仕事をしていることの大切さを決して忘れてはいけません。
そのことが日本人の貴賓を保ち、いい関係を長続きする秘訣ですし、CRJAの存在意義の一つでもあると思います。
正直あっと言う間の一年でした。大した事もできず、今年度の特殊な事情もあり会長期間中の行事は計画の半分程度に減少したと思います。
会長としての最初の仕事は4月21日の日本人学校小学部・中学部の入学式でした。きらきらと目を輝かせている新入生の前で、在学中に何か一つ、日本に帰国した際に友達に自慢できる思い出を作って欲しいとお願いしました。日本とは違う環境下での学校生活だからこそ新しい発見が何かあるはずで、それはきっと将来タイとの友好関係を深めるのに役立つと考えたからです。
会長期間中一番感じたのはボランティア活動の限界です。どの世界も世話役の仕事は大変なものですが、本来業務をこなしながらの日本人会運営は正直、並大抵の負荷ではありません。昼間は比較的静かな携帯のLineが、夜になると息つく暇もなくCRJAグループラインの着信音が夜遅くまで続きます。運営委員の皆さんの活動取り組み姿勢には本当に頭が下がる思いです。少しでも運営委員の事務処理負荷を減らすべきと、法人化に向けての検討をスタートしました。特殊法人であるため、準備にはまだしばらく時間がかかります。いつの日か事務仕事は任せられるスタッフをそろえたCRJAの姿を見たいと思います。
最後になりますが、CRJAとこの地区で働く日本人の皆様の益々の発展を祈念して回顧録とさせていただきます。
ありがとうございました。
2017年3月17日 長畑 亨