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チョンブリ・ラヨーン日本人会 回顧録(2003年〜2005年)

2014年5月6日
戸田治夫

怒和会長からチョンブリ・ラヨーン日本人会の三代目会長としての回顧録を書くように依頼を受けたのですが、10年前の記憶はおぼろげで、資料も無く何をどうやって書いてよいものやら不確かな回顧録となりますが、了承願います。

1999年11月にタイのLAT社に赴任、2000年から当時のチョンブリ・ラヨーン企業連絡会の中にある教育部会のお手伝いをすることになりました。企業連絡会はシラチャ市内の旅行社の2階3階を事務所として借り受けて、役員の皆さんは手弁当で進出企業の労働問題、交流・親睦、帯同してきた子供達への教育支援を基本に活動していました。

 アメリカンスクールでの授業を受けている子弟の悩みは日本での高校や大学の受験のことでした。そのために将来帰国した際の、日本で受ける国語や算数・数学の授業が十分理解して、高校、大学の受験に困らないようにと週一回バンコックから教師を招いての補習授業を開校していました。
小学校1年生から高校生までをカバーする授業で、授業はシラチャの小学校の
教室を一部借りての授業でした。 エアコンも無く、暑い中を児童は授業を受けていていました。一方で送迎する父母は子供を待つ待合い場所も無く、校舎の校庭で木陰を探して待つしかありませんでした。

また、教育部会を実際に生徒の世話をされる父母の方々は、打ち合わせや、イベントの為の作業準備、連絡事項の作成や配布準備の為の集まる場所が必要でした。

当時のタイでは日本からの進出企業が相次ぎ、チョンブリ・ラヨーン県へも多くの企業が事業展開され、同時に子弟の教育環境の充実が課題でした。進出される日系企業として、子弟の教育環境次第では、単身赴任又は妻子はバンコックに住み日本人学校に通わせ、夫はシラチャ・パタヤでの単身赴任を検討される方々も多くいました。

2003年に会長に就任時に連絡会の事務所の家賃の改訂時期となり、検討した結果シラチャのシテイーホテルの一部屋を無償で借りれることになり、事務所を移転しました。父母会の役員の方々にも解放して集会所として、打ち合わせ場所として提供出来るようになりました。

併せてシテイホテルのブンダリック社長の好意で2階ロビー周囲を教室に改造して提供して頂けることになりました。 お陰で、増え続ける学童への施設環境も充実しました。ホテルの大ホールも入学式・卒業式や連絡会の講演会やイベントに利用出来るようになりました。何よりも子供達の教室がエアコン付きとなって、バンコクから来てもらう講師と生徒にとって快適な環境になったことでした。また父母の待合いもホテル内ロビーで快適で安全になったことです。
新装となった、日本人補習校で笑顔で通ってくる学童の顔を見る事は、自分にとって何よりの清涼飲料となりました。

2003年卒業式

 

この頃より、日本人補習校から日本人学校への昇格の検討を、バンコック日本人会や日本人学校との間で話が持ち上がりました。 今後の事も考えて、企業連絡会の名称から、チョンブリ・ラヨーン日本人会と改称して、幅広い活動に対応することとなりました。

しかし、日本人学校設立に関しての父母へのアンケート調査を行った結果は、アメリカンスクールへの通学を希望する方が大半で、英語教育中心の環境で児童を育てたい、補習授業で不足する学習をカバーして欲しいという強い要望でしたので、検討はしていくが今後の課題事項としました。

在任中に記憶に残る大きな災害がタイ王国で発生しました、2004年12月26日に発生した、インドネシア領スマトラ島沖でのマグニチュード9.1の地震からタイのアンダマン海域へ押し寄せた巨大津波の被害です。タイのプーケットに押し寄せた津波で多くの方が亡くなりました。この津波によるインドネシア・タイ等含む全体の死亡者は28万3千人と言われています。チョンブリ・ラヨーン日本人会でも被害の把握に努めましたが、年末という時期のため大半の日本人は日本へ帰国されていたこともあり、直接の日本人の死亡者や社員への被害はほとんど無かったと記憶しております。しかしながら、プーケットの日本人会では亡くなられた方もあったように記憶しております。 チョンブリ・ラヨーン日本人会としては、義援金を募りバンコックにあるタイ赤十字社を訪問して義援金を贈呈しました。

最後に、記憶に残るイベントとして2004年12月の日本人会のクリスマスパーティですね。 静岡県掛川市の山車とお囃子が有名なので、日本人会のイベントに呼ぼうという事になりました、山車はさすがに無理ですが、お囃子の一行を呼び、日本人会の子供達とタイの人達に日本のお祭りを知ってもらう事にしました。旅費交通費と宿泊費をこちらが負担する事で快く承諾してもらったのですが、実際には費用を日本人会の会費から出す訳にもいかず、賛助金を募って捻出することにしました。 皆さんの奔走して頂いたお陰で、シラチャのシテイホテルで二晩の公演を行い、一晩は日本人会の会員向け、翌日の夜は会員企業のタイ人社員に来て頂き楽しんで貰いました。

日中は パタヤにも出掛けて頂き お囃子を公演してもらいました。
皆さんに楽しんで頂き、費用も何とか間に合い、役員一同ホット胸をなで下ろしました。

 

     

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